布良の高台にある富崎館は、いまは地魚の食堂と小さなキャンプ場として知られています。でも、その名前の奥には、明治の頃から続いた民宿の記憶と、漁村・富崎の暮らしが詰まっているんだ。
富崎館の公式ページでは、もともとは一族が代々引き継いできた小さな民宿だったと紹介されています。地元の仲買として海産物を築地へ出荷する商いもあり、伊勢海老や鮑を使った磯料理の宿として親しまれてきました。平成に入る頃には、大学生の合宿などでも賑わったそうです。
布良という漁村の記憶
富崎館の歴史を読むには、布良そのものの歴史も外せません。青木繁「海の幸」記念館の地域紹介では、富崎地区は相浜漁港と布良漁港を中心に家が集まり、布良沖は魚種の多い海域として昔から漁業を中心に栄えてきたとされています。明治時代の布良ではマグロの延縄漁が盛んで、「安房節」も富崎の漁業の歴史を伝えるものとして語られています。
同じ富崎地区には、青木繁が1904(明治37)年夏に滞在し、名画『海の幸』を描いた小谷家住宅もあります。富崎館がその舞台だったわけではありません。ただ、海で生きる人びとの営みが、この地域の宿、食、芸術の背景にずっと流れていたことはよく分かります。
台風被害から、食堂とキャンプ場へ
大きな転機は、令和元年房総半島台風でした。館山市の検証資料では、市内全域が甚大な被害を受け、館山市全体で6,000棟を超える住家が被災、富崎地区では約8割の世帯に被害が発生したとされています。富崎館もこの台風で大破し、屋根が飛び、建物は修復できない状態になりました。
それでも、富崎館はそこで終わりませんでした。解体が進むなかで、ふるさとが消えていく実感に耐えられなくなり、富崎館を諦めることはこの村を諦めることのように感じた。そんな思いから、父ちゃんと娘さんによる「食堂とキャンプ場への再生」が始まります。現在のキャンプ場では、旅館だった頃の部屋の配置に合わせてサイト名が付けられているのも、昔の富崎館を残す小さな工夫だよ。
いま訪れる意味
富崎館は、単に「海鮮が食べられる店」や「海の見えるキャンプ場」ではありません。明治からの民宿、漁村の商い、台風被害、そして再生。布良の景色を見ながらここに立つと、地域の時間が一本につながって見えてきます。
食堂やキャンプ場の営業日、料金、予約条件は変わることがあります。訪れる前には公式サイトやSNSで最新情報を確認してください。歴史を知ってから食べる地魚は、きっと少し味わいが深くなるはずだよ。
場所:富崎館 食堂&CAMP場
住所:館山市布良303-1
現在の形:地魚食堂、キャンプ場、干物販売など
確認:営業日・料金・予約条件は公式で最新情報を確認
公式:富崎館
Photo: 田山宗尭「布良全景」/ 国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)