【館山市】うみこと歩く館山城⑤|里見氏最後の日・館山城はなぜなくなったの?
観光・レジャー 📅 2026年6月21日 00:44

【館山市】うみこと歩く館山城⑤|里見氏最後の日・館山城はなぜなくなったの?

前回は、里見氏が去ったあとも港町として生き続けた館山の町を歩きました。でも、そもそも里見氏は、なぜ館山からいなくなってしまったのでしょう?

「うみこと歩く館山城」第5回は、里見氏最後の物語。10代続いた一族の終わりと、館山城が歴史の表舞台から消えた日を追います。少し切ない回ですが、館山城を語るうえで欠かせない話です。

うみこ おじさん、前回からずっと気になってたんです。お殿様がいなくなった後も町は続いた、って話でしたけど…そもそも里見氏って、なんでいなくなっちゃったんですか?
タテヤマおじさん それが今日の話だ。里見氏、最後の当主は里見忠義。義康の子でな、父が亡くなって、わずか10歳ほどで家督を継いだ。10代目、里見氏最後の当主だよ。
うみこ 10歳で当主に! まだ子どもじゃないですか…。大変だったでしょうね。
タテヤマおじさん そのうえ、時代も悪かった。慶長19年、1614年の9月9日——重陽の節句、菊の節句だな——その祝いのために、忠義は江戸城に控えていた。そこへ老中の使者がやってきて、突然「国替え」を申し渡されたんだ。
うみこ 突然!? しかもお祝いの席で…! なんでそんなことに。忠義さん、何か悪いことしたんですか?
タテヤマおじさん それがな、忠義自身というより、とばっちりに近いんだ。岳父——奥さんの父親だな——の大久保忠隣が、幕府内の事件で失脚してな。忠義はそれに連座させられた。見せしめの意味もあったといわれている。
うみこ 自分は何もしてないのに、巻き込まれて…。それで、どこへ行かされたんですか?
タテヤマおじさん 安房をまるごと取り上げられて、伯耆国——今の鳥取県だ——へ移された。名目は3万石とされたが、実際には倉吉で4000石あまり。しかも蟄居、つまり謹慎の身だ。大名としては、事実上の取り潰し。改易ってやつだな。
うみこ 関ヶ原の頃は12万石の大名だったのに、4000石…。そんなに変わってしまうんですね。じゃあ、館山城は…?
タテヤマおじさん そこなんだよ。9月13日には、将軍秀忠から城を受け取る軍に命令が出て、18日には館山城が接収された。御殿などの建物や堀は壊され、城を囲む堀はすべて埋められた。こうして、170年近く続いた里見氏の安房支配は、ぷつりと終わったんだ。
うみこ お城まで壊されて…。あんなに大きなお城が、こんなにあっけなく…。
タテヤマおじさん そうなんだ。義康が館山に本城を移したのが1591年、消えたのが1614年。たった24年で、館山城は歴史の表舞台から姿を消した。長く続いた里見氏の、最後の居城にしては、ずいぶん短い命の城だったんだよ。
うみこ 忠義さんは、その後どうなったんですか? 鳥取で…。
タテヤマおじさん 伯耆の堀村——今の倉吉市関金町だ——で暮らして、元和8年、1622年に、29歳の若さで亡くなった。遺言によって、殉死した8人の家臣とともに、大岳院というお寺に葬られたと伝わっている。…で、うみこ。この「8人の家臣」ってのが、な。
うみこ 8人…! まさか、それって…八犬伝の…!?
タテヤマおじさん そう、『南総里見八犬伝』の八犬士のモデルといわれているんだ。史実の里見氏の終わりが、のちの物語につながっていく。…でも、その話はたっぷりやりたいから、次回のお楽しみにとっておこう。

📜 史実メモ:里見氏の改易と館山城の破却

里見氏最後の当主・里見忠義は、父義康の死を受けて10歳ほどで家督を継ぎました。慶長19年(1614年)9月9日、江戸城で重陽の節句に控えていた忠義は、突然の国替えを申し渡されます。岳父・大久保忠隣の失脚に連座したもので、安房を没収され、伯耆国(現在の鳥取県)へ移されました。名目は3万石でしたが、実際には倉吉で4000石余り、蟄居の身となります。9月18日には館山城が接収され、御殿や堀は壊されました。本城移転(1591年)からわずか24年、約170年に及んだ里見氏の安房支配はここに終わります。忠義は元和8年(1622年)、伯耆で29歳で亡くなりました。

10歳で家督を継ぎ、自分の落ち度ではない事情で領地と城を失い、遠い伯耆の地で若くして世を去った里見忠義。里見氏最後の居城・館山城は、こうして短い命を終えました。けれど、里見氏の物語はここで消えてしまったわけではありません。約200年後、一人の作家の手によって、里見氏は壮大な物語として甦ります。次回は、その『南総里見八犬伝』のお話です。

今回わかったこと

  • 里見氏最後の当主・忠義は、10歳ほどで家督を継いだ10代目
  • 慶長19年(1614年)、岳父・大久保忠隣の失脚に連座し、突然改易。安房を失い伯耆国へ移された
  • 9月18日に館山城は接収され、御殿や堀が破却。本城移転からわずか24年で歴史の表舞台から消えた
  • 忠義は元和8年(1622年)、倉吉で29歳で死去。殉死した8家臣は八犬伝の八犬士のモデルといわれる

📚 連載「うみこと歩く館山城」の全体像・各回の目次は、まとめ記事「館山城の歴史まとめ|里見氏最後の居城と八犬伝の舞台を歩く」からどうぞ。

次回「うみこと歩く館山城⑥」は、いよいよ『南総里見八犬伝』。「物語と史実はどう違う?」という疑問から、史実の里見氏と、作家・曲亭馬琴が描いた壮大な物語の関係をひもときます。お楽しみに!

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この記事を書いたライター

うみこ
うみこ 観光・アウトドア担当

海と空が好きなライター。SUP、シュノーケル、釣り、海水浴……房総の海を全力で楽しむ視点から、アウトドア体験スポットや季節の見どころを紹介します。

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