【館山市】うみこと歩く館山城④|館山の城下町・今の市街地はここから始まった?
観光・レジャー 📅 2026年6月20日 09:21

【館山市】うみこと歩く館山城④|館山の城下町・今の市街地はここから始まった?

前回、「今の館山の市街地は、館山城の城下町から始まった」という話に、うみこは驚いていました。では、その城下町とは、いったいどんな町だったのでしょう?

「うみこと歩く館山城」第4回のテーマは、館山の城下町。城・湊・町がどうつながっていたのか、そして里見氏がいなくなったあと、その町がどうなったのかを歩いていきます。

うみこ おじさん、前回「城下町が今の館山の街の原型」って聞いて、すごく気になってます! 具体的には、どんな町ができたんですか?
タテヤマおじさん 順を追って話そう。里見義康は天正19年、1591年に本城を館山城へ移すとな、まず城山の周りに家臣たちの屋敷を置いた。武士の住む区画だな。そして、その北側に商人や職人を集めて、海に面した城下町をつくったんだ。
うみこ 海に面した町! やっぱり海なんですね。お城のまわりに武士、その先に商人や職人の町…ちゃんと役割で分かれてたんだ。
タテヤマおじさん そうだ。城下町は、もともと浜のほうにあった新井浦と楠見浦の土地を一部割いて、上町・中町・下町の三つの町に区切ったのが始まりと伝えられている。今の館山に残る楠見、新井、上真倉…そういう地名は、この頃の名残なんだよ。
うみこ 上町・中町・下町! なんだか今もありそうな地名です。じゃあ、お店もどんどん集まってきたんですか?
タテヤマおじさん それがな、義康はけっこう力技を使ったんだ。慶長6年、1601年に、城下の新井町以外での商売を禁止して、よその国の商船も新井町以外には寄港するな、と決めた。半ば強引に、商人を城下町に集めたわけだ。
うみこ えっ、「商売は新井町だけ!」って!? すごい力技…! でも、それだけ港の町を本気で育てようとしてたんですね。
タテヤマおじさん そういうことだ。そのあとは逆に規制を緩めたり、税を免除したりしてな、楠見町や長須賀町といった町も育っていった。城があって、湊があって、町がある。これが一体になって回る——城下町であり、港町でもある。それが里見氏時代の館山の姿だったんだよ。
うみこ 城下町であり、港町でもある…! でも、里見氏って改易されちゃうんですよね。お殿様がいなくなったら、町はさびれちゃったんですか?
タテヤマおじさん 確かに慶長19年、1614年に里見氏が改易されて、代わりの大きな殿様も来なかった。だから「城下町」としての発展は、そこで一度止まる。…が、ここからがおもしれーんだ。館山湾ってのは、東京湾の出入り口にあたるだろ?
うみこ あ、地図で見るとちょうど湾の入口! ということは、船がいっぱい通る場所…?
タテヤマおじさん その通り。風待ちの廻船——帆船だな——がたくさん停泊する、海上交通の要衝になったんだ。江戸へ鮮魚や干鰯、つまりイワシを干した肥料を送る供給地としても栄えた。西の柏崎から館山・長須賀・新宿・北条にかけて、4キロも町場が連なったというから大したもんだよ。
うみこ お殿様がいなくなっても、海の町として生き続けたんですね…! なんだかたくましいです。
タテヤマおじさん そうなんだよ。里見氏が引いたあとも、商人や漁師、運送業の人たちが、自分たちの手で町を回していった。今の館山中心部の町並みは、その長い長い延長線上にあるんだ。城下町から港町へ——形を変えながら、ずっと続いてきたんだな。

📜 史実メモ:城と湊のまち・館山

里見義康は天正19年(1591年)に館山城へ本城を移すと、城山の周囲に家臣の居住地を置き、その北側に商人・職人を集めて海に面した城下町を築きました。城下町は、浜方にあった新井浦・楠見浦の土地を割いて上町・中町・下町に町割りしたのが始まりと伝えられています。慶長6年(1601年)には新井町以外での取引や他国商船の寄港が制限され、城下への集住が進みました。慶長19年(1614年)の里見氏改易後は城下町としての発展は止まりますが、館山湾は風待ちの廻船が集う海上交通の要衝・江戸への鮮魚や干鰯の供給地として栄え続けました。

城下町であり、港町でもある——館山の町は、里見氏という殿様の城下町として生まれ、殿様が去ったあとは海の町として自立して生き延びました。今の館山中心部を歩くと、その長い歩みの延長線上にいることがわかります。次回は、その里見氏が館山を去ることになった「最後の日」を追います。

今回わかったこと

  • 1591年、義康は城山周囲に家臣の居住地、北側に商人・職人の町を置き、海に面した城下町を築いた
  • 城下町は新井浦・楠見浦を割いて上町・中町・下町に町割りしたのが始まりと伝わる。楠見・新井などの地名に名残がある
  • 慶長6年(1601年)、新井町以外の取引・寄港を制限し、商人を城下に集住させた
  • 改易(1614年)後も館山湾は廻船の風待ち湊・江戸への鮮魚や干鰯の供給地として栄え、港町として続いた

📚 連載「うみこと歩く館山城」の全体像・各回の目次は、まとめ記事「館山城の歴史まとめ|里見氏最後の居城と八犬伝の舞台を歩く」からどうぞ。

次回「うみこと歩く館山城⑤」は、いよいよ里見氏の終わりの物語。「館山城はなぜなくなったの?」という疑問から、里見氏最後の日と、館山城の破却を追っていきます。お楽しみに!

出典:

この記事をシェア

💡 地域の情報、お持ちですか?

あなたが見つけたお店・イベント・季節の景色──ぜひ教えてください。記事になるかもしれません。

📝 ネタを送る ↗

この記事を書いたライター

うみこ
うみこ 観光・アウトドア担当

海と空が好きなライター。SUP、シュノーケル、釣り、海水浴……房総の海を全力で楽しむ視点から、アウトドア体験スポットや季節の見どころを紹介します。

うみこの記事一覧 →

新着記事

次に読む